北京市内の風景 2010年6月9日、中国・北京市の北京新北緯飯店(Rainbow Hotel)で開催された第一回中日血液浄化技術交流会に招待され、講演する機会に恵まれた。本会は上海日機装が中国における血液浄化医療関連技術の普及、向上を目的とする研究会で、日本の血液浄化法の中国の臨床現場への技術移転を円滑ならしめるために企画、開催されたものである。参加者は中国から技士約80名と若干の医師、看護師であったが、なかには遠く上海市から参加された方もあった。日本から臨床工学技士は、小生と奈良県の柏井クリニックの大音正明氏の2名が参加し、日本の血液浄化医療現場の歴史、現状そして将来への展望などにつき臨床工学技士の業務を中心として講演を行い、上海日機装の黄明子氏の通訳で、質疑を含めたっぷりと時間が用意されていた。司会は北京市技士会会長で中日友好医院の主任技士を務めておられる劉学軍氏であった。
講演会場となったホテル:北京新北緯飯店(Rainbow Hotel)
小生が中国を訪問するのは初めてで、市内の道路の渋滞や街の喧騒などはある程度覚悟していたものの、やはり『百聞は一見に如かず』であり、小生の2時間の講演の最中も、聴衆のあちこちでは携帯電話の着信メロディーが鳴り響き、誰一人マナーモードに設定しようという動きがないことに驚いた。公衆的なマナーが共有されているとはとうてい云えず、要するに何につけても自己中心的である。『中国人が信じるのは身内のみ』と、あるテレビ番組の内容を思い出した。しかし、北京は恐ろしいほどの規模の大都会であり、もちろん東京などは足元にも及ばないし、小生が日常的に活動している名古屋市などはとうていその比ではない。そして人民の海とも表現される中国の人々の圧倒的なエネルギーと底知れぬパワーには、『とうてい日本はこの国にはかなわないな』と感じた。
講演会のタイトル今回の講演では小生のライフワークと云ってもよい『透析患者の皮膚の色』ついて話した。日本語のスライドを上海日機装の御好意により中国語に翻訳して頂いたものを使用した。本題に入る前に日本における臨床工学技士の業務と最近の話題についても触れた。中国の技士は臨床現場においては、患者に直接的にタッチする業務を許されておらず、あくまで機器のメンテナンスと設備業務の延長に限定されているということであった。我々の日常的な業務、つまり日本では個々の技士がシャントの穿刺を行ったり、透析中の患者の血圧低下などのイベントに対して医療的処置を行っているスライドを提示すると、会場にざわめきが起こり、さらに最近ではドライウェイトの設定にも積極的にかかわっていることを述べると、彼らの驚きはひとしおであった。
柴田の講演の様子
彼らは日本のおよそ30年前の技士の立場と良く似ているように思われる。他の医療職と同じく大学卒であるにもかかわらず、臨床現場における地位や待遇が劣悪であるため、ある意味で意固地になっているようにも見受けられた。中国の技士会は日本のように正式に社会的に認知された独立組織ではなく、現状は透析医師会の下部組織の一つとしての団体であり、現在北京と上海に技士会が組織されている。その上、技士に対する国家資格制度が整備されておらず、今回の交流会に参加した技士たちも、認定を受けた資格取得者ではない(国家資格制度がまだ制定されていない)。しかし最近では、中国の医療現場にもハイテク化の波が押し寄せ、医師サイドからも日本のコ・メディカルのような存在が必要であるとの声が強くなってきていると聞く。そこで今回、中国の技士も日本の臨床工学技士あり方を参考にすべく、我々が招待されるきっかけとなったようである。
熱がこもり、途中からジャケットを脱いでの講演
彼らが、日本の透析医療における臨床工学技士の役割について注目した点を列挙すると、第一に感染症患者の扱いであった。中国では透析を行うとき、感染症患者は隔離して別室で行わなければならず、透析と透析の間に、すなわち1シフトごとにコンソールを含め各種機器は必ず洗浄と消毒を行わなければならない。肝炎ウィルス陽性率が約15%と高く(その大半はHBVであり南へ行くほど高い)、その対応に大きな労力を払わねばならないのが実情とのことであった。1つのシフトから次のシフトへ移る間の時間の使い方について、技士はどのような業務を行えば効率的であろうか、という質問もあった。これらの質問には誤解を招かぬように、また日本国内でも統一されたコンセンサスが存在するわけでもないから、『あくまでも私どもの施設では・・』ということでお答えした。閉会後の懇親会では中国で恒例とされる紹興酒の『乾杯』攻めで、まさに熱烈歓迎そのものであった。
万里の長城
翌日は北京市内から小一時間ほどの距離のところにある『万里の長城』を見学した。我々が訪問したこの北京近郊の長城は、教科書に出てくる秦の始皇帝が建造したものではなく、時代がずっと下がって明王朝のころのものである。しかし、見学というよりも石畳の上をせっせと歩いて登り下りしたという印象で、とても疲れた。なるほど、とてつもなく大きな竜の背に乗っているようなものであった。いかに強大な外国から国を守るためとはいえ、よくも明王朝は15世紀にこんな何千キロにも渡る『壁』を築いたものである。
北京の古い街並み
この日の午後は北京市内に戻り古都観光と相成った。市内にごく少し残された古い街並みを訪れ、夕方には巨大な毛沢東の肖像が掲げられている中国のシンボル天安門広場に移り、すぐ近くの老舗で御存じ『北京ダック』を御馳走して頂いた。日本で食べるそれとは違い、本場のそれは鶏皮に脂がしっかりとのっているのが印象に残った。
3日目は昨年の秋(2009年10月)に当施設(光寿会リハビリテーション病院)に見学研修に2週間ほど来日していた、上海交通大学医学院付属新華医院の腎臓内科医 陳舜杰先生に再会するため上海市に移動した。上海もまたノッポビルが立ち並び新旧が入り混じった大都会である。新華医院もまた近代的設備を存分に備えた巨大な医療機関であった。
彼との再会を喜びあったあと、透析室を案内して頂いた。透析医療に従事するスタッフは医師と看護師だけで技士は現場には配属されていなかった。透析装置(52台)はすべて個人機であり(そのうち12台がon-line HDF用)、その内訳はB-BRAUN社製(ドイツ)22台、日機装社製21台(DBB-27:20台,DBB-26:1台)、東レ・メディカル社製5台(TR-8000:3台,TR-321:2台)、フレゼニウス社製(ドイツ)4台の順で設置され、すべてにETRF(Endotoxin Retentive Filter)が装着されており、約15%の患者ではon-line HDFが行われていた。またガラス越しに見た10床ほどの小部屋では肝炎などの感染症患者が隔離された状態で透析治療を受けていた。そんな透析室は小生が想像していたよりも大きく、衛生的であり、ハード面では日本の透析室と何ら変わらない印象を受けた。
その夜もやはり、透析室の主任医師をはじめ、透析スタッフによる『熱烈歓迎』をうけ滞在中は宿酔気味であったことは云うまでもなく、とても上海万博の探訪どころではなかった。
上海交通大学医学院付属新華医院 透析室スタッフと記念撮影:前列左 新華医院主任医師 蒋更如先生、その右 光寿会理事長 多和田英夫先生、後列右端が陳舜杰先生 小生が以上のような場で見聞した中国の透析医療事情につきほんの一端を御紹介すると、中国では正確な統計機関による集計もないため、漠然としたものではあるが2008年の調査で以下のような数字が得られたという。中国の人口は約13億人、推定腎不全患者数は100万人、維持透析患者数は約85,000人、CAPD患者数は約13,000人、透析施設数は全国に約2,800件、透析装置数は約20,000台、保険加入率は全国で11%(上海と北京では約40%が加入)、透析治療費はだいたい6000円/1透析(1元=15円で換算)などである。中国の戸籍制度には都市籍と農村籍というものがあり、生れた場所と地域により戸籍が決定され、一般国民がこれを自由に変更することは原則的に不可能である。これらの戸籍ごとに保険制度(各種の福利厚生制度を含めて)も異なり、もちろん農村戸籍の者が加入できる医療保険はあるものの、人口の大部分が加入していないのが実情である。これに対して農村戸籍に属する全ての人々を保険に加入させるために国がその何割かを負担しようというのが、今回の医療制度改革の主旨であるとのことであった。現在の医療費の自己負担額などについては各省、市、自治区などでそれぞれ異なり、負担額も医療の内容によってさまざまであり一概には議論できないが、たとえば上海市では透析についてはHD、HDFを問わず保険加入者の個人負担は5%であるものの、一方、保険に加入していない透析患者は『金の切れ目が、命の切れ目』となる。従って貧しい地域ほどダイアライザや回路などをリユースしているのが実情である。扶養家族という観点もなく、世帯主と家族という区分や取扱いはなされておらず、あくまで加入者本人のみが保険の対象となり、小児(16歳未満)については一律50%の自己負担、その後就職するまでは必要に応じて民間の保険に加入する以外に方法はないということであった。中国の透析患者数は今後増加を続ける見込みであり、2020年にはおそらく80万人を超えると想定されている。
このような中国の透析医療の現状が今後どのように変化、展開していくのか、あまりにも多くの要因が関与するために、実際にはその予測は非常に困難であろう。しかし、既に数十年の歴史を持ち、高度に洗練され完成の域に近い日本の透析医療の立場から種々の助言などを行うことは可能であろう。会員の皆様のお考えはいかがでしょうか?









